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日記(怠惰)

2007年2月8日
 これから日記のほうはブログで海底効果(・・・なんだよこの変換ミス→書いていこうか)と思います。更新が楽だから。              
2007年1月15日
 こないだ友人に「5本の指に入るアーティスト教えて」、と言われた。つまり好きなアーティストTOP5を聞かれたわけだが、これが非常に難しい質問だった。なにせ移り気なもので・・・。
 ちょっと整理する意味も込めて、自分自身の音楽の趣味遍歴を追ってみる。
 洋楽を聴き始めた高校以来、不動なのはLED ZEPPELINだけ。当時はハード・ロックばっか聴いていたから、AEROSMITHやガンズなど王道アメリカン・ハード・ロックが5本の指に入っていた。
 その後RADIOHEADの『OKコンピュータ』と『キッドA』に脳天かち割られ、聴く音楽がずいぶんと変わったことを覚えている。同時期にプログレにもはまっている。多分その頃、高校を卒業するころの5本指アーティストは、レディヘ、KING CRIMSON、VAN DER GRAAF GENERATOR、PINK FLOYDとかかな。後、我が青春のツェッペリン。見事にアメリカからイギリス一色へ。特に当時のVDGGへのはまり具合はすさまじく、リーダーのPETER HAMMILLの来日公演も2日連続で参加、その時もぎ取った2ショット写真とサインは我が家の家宝となっている。
 その後、またまた反動で、調子に乗って今度はアメリカのオルタナティヴなアーティストばっか聴いていた。それが大学一年生ぐらいの時で、FLAMING LIPS、SONIC YOUTH、WHITE STRIPES、YO LA TENGOとかがフェイヴァリットになった。後、我が青春のツェッペリン。
 てか大学に入学してからは本格的にバイトをして、学生にしてはまとまった給料を得ていたので、月100枚単位でCDを買うこともざらだった。給料はほぼすべてCDやライブにつぎ込んでいたわけだが、おかげで一生涯をかけて愛すべきバンドにもいくつか出会えた。The Beatlesがツェッペリンと共に、自分の中で不動のアーティストになったのも大学に入ってからだった。
 
 要するに、僕の音楽の好みはこんだけコロコロ変わる訳で、ツェッペリンとビートルズが不動といっても残りの3本は、また近いうちに変わるかもしれないということを考慮に入れて、一応現時点で5本の指に入るアーティストを挙げてみた。(順位は付けれません。直感です)

 LED ZEPPELIN
 THE BEATLES
 SUPER FURRY ANIMALS
 OASIS
 THE KINKS

 やっぱ、5つに絞るのは難しいけど、今だとこんな感じかなぁ。人間の指がもし七本だったら後、PRIMAL SCREAMとTHE ROLLING STONESを入れてあげたい。結局英国ロックに帰ってくるみたいですね・・・。
2006年12月28日
 今年のクリスマスはバイト三昧でした。早朝からコンビニでレジを打ち、サンタクロースのコスプレまでさせられて他人の幸せのためにケーキを売りさばいていました。コンビニが終わると夕方からは塾講師のバイトで中学生に数学を教えていました。生徒の一人が手作りのお菓子をプレゼントしてくれたのが唯一の救いでした。休憩時間でボーっとしている時に不意をつかれたので本気でびっくりしてしまいました。
 その前日はなぜか地元の友人3人でキムチ鍋パーティを催し、そのままイヴに突入するという、超えてはならないアルティメット・ラインを超えていた。3人のうち一人だけが「イヴまでにお誘いのメールが来るはず!」と訳の分からないかわいそうなことをぶつぶつ言っていたが、イヴに突入するとすべてをあきらめたのか、ぐったりした様子でカニ団子(鍋の具では一番不味かった)を食べていた。
 訳の分からないかわいそうなことをぶつぶつ言っていた僕の友人もそうだが、恋人の居ない人がクリスマスに惨めな気持ちになりやすいのは、単純に街全体がツリーやら電飾やらのクリスマス・イルミネーションで支配されて、クリスマス商戦のメインターゲットであるカップルのカテゴリーに当てはまらないマイノリティを排除しようとする力が働いているからだけであって、どうせクリスマスの翌日にはツリーや電飾はすべて正月に向けて門松に変わるのだから、未来の門松相手に惨めになる必要なんて無い。と日記の冒頭でぐだぐだなぶんしょうをかいているじぶんにいってやりたい
2006年11月1日
 最近実家から出て引越しした。新住居は旧住居の3件隣。よって引越し業者はおろか車さえ使わずに荷物はすべて手運び。ダンボールも使わなかったので持ち物をそのまま新しい部屋にコピペした感じだ。
 やはり引越しは良い。うちの母親は昔から引越しを頻繁に行う移民属性(?)だったので、その血が流れているのかもしれない。僕は今回で5回目の引越しである(もっとしてる人も居るだろうが)。ただ新居地は借家であるため、そんなに長居はできないわけで、引越しが終わったその日から次の引越しのカウントダウンが始まるという、週間連載に追われる漫画家のごとき心境を日々なぞっているのである。

 後、新住居には電話回線を引いていないため、ネットをするたびPCのある実家に帰郷している(徒歩5秒)。これも更新を遅らせている原因の一つだと強く思っているあたりが救い難い。 
 
 最近購入したニュー・カマーの中ではKLAXONSがダントツに良い。EPで"Atlantis to interzone"聴いてはまった。PVはバカを通り越して微笑ましい。暴れて踊れるサイケデリック。myspaceから音源発信してブレイクという流れが定着しつつあるけど、購入前にハイプかどうかを自分の耳でチェックできるところが良い。魅惑の文句に踊らされハイプバンドに散々散財していた4、5年前の自分を思うと・・・うう。
2006年10月9日
 今日音楽ジャーナリストの妹沢奈美氏とクロスビート副編集長の播磨秀史氏の対談を聴きにいった。英国留学フェアのセミナーのひとつで、講演の題目は「現在のシーンから見る UKロックの過去と未来」。現場の人間同士の対談ということでかなり濃厚な内容を期待して行っただけに、もしくはこの偏ったセミナーに堅気の人間ばかりが聴きに来ると思ってらしたのか、シーンの表面を軽くなぞるだけの無難さにちょっと肩透かしを食らってしまったが、全体としては結構楽しめた。
 播磨氏曰く、UKロックの特徴の一つは『イギリス声』とのこと。なんじゃそりゃ?と思ったのだが、『イギリス声』の見本として会場に流されたスウェードを聴いて納得。『気持ち悪いオカマ声』をオブラートで5重ぐらいに包んで『イギリス声』と言っているのである(もちろん褒め言葉だよ!)。確かに市井レベルの情緒やユース・カルチャーを、それらが持つ強さや情けなさをも含有しここまで前面に押し出すヴォーカルはアメリカにはあまり無い。
 最後は「リアム原理主義者」と自ら名乗る妹沢氏らしい選曲「Live Forever」のライヴ・テイクで終了。聴いていて、英国に居た時ロンドンに向かう列車の中で現地の不良どもが「Live Forever」を合唱していたのを思い出した。名曲っていうのはipodの時代になってもこういう風にアナログの感覚で伝わっていくのだな、と思うと少し嬉しくなった自分はもう年でしょうか?

 というか、二つ前の日記を見て自分でびっくりした。一個だけ長えよ。いずれどっかに移します。
2006年9月22日
 最近重度の金欠でCDをろくに買っていない。新譜もMUSEとヨ・ラ・テンゴぐらい。ヨラは相変わらず格別!マイブラばりのフィード・バックノイズもばっちり復活して大満足。
 CDといえば最近友達から借りたGORILLAZにすっかりはまってしまった。パークライフ以降の(ノイジー&コクソンのアメリカ志向の)ブラーに関心が無かったのでゴリラズもスルーしていたのだが、いやはやデーモンはやっぱりすごい人でした。ロック、ヒップホップ、エレクトロニカをミックスし都会的に洗練されたサウンドにデーモンのやる気のないヴォーカルが重なるというミスマッチの妙が心地よい中毒を引き起こす。クールだ。二次元のキャラクター達がバンドを運営しているという設定がすごく良い。PVで動く彼らを観てさらにはまった。
 後、プライマル・スクリームのライブを観て来た。最高。
 そういや英国の方のオフィシャルページに彼らのドキュメンタリー映画を撮る予定ってニュースがあったけど、オアシスといいダニエル・ジョンストンといい最近ドキュメンタリー映画を撮るのがミュージシャンの間ではやっているのかもしれない。なんだかまだまだ現役のバンドがこういう映画を撮ると終わってしまった感があって嫌だ。撮るなら『LIVE FOREVER』みたいなシーンを総括したものを撮ってほしい。

 そういえば今日はリアム・ギャラガーの誕生日。なにげにうちの兄貴と同い年。はっぴば〜すで〜とぅ、げじげじまゆげ〜。
 以上、一年8ヶ月ぶりの音楽関連の日記でした。
2006年6月12日
 今回の日記は音楽から離れて(いつも離れているけど・・・)本の話を書きたいと思う。ある何冊かの本と音楽に出会わなければ僕の人生はペラッペラの紙切れみたいになっていたと思う。多分長くなる気がするが、時間があればぜひ最後までお相手ください。
 
 先日某大学で行われた奥泉光と山田詠美の講演を拝聴してきた。奥泉光は『石の来歴』で芥川賞、山田詠美は『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞を受賞している実力派の人気作家だ。ちなみに奥泉光はうちの大学の教授(あー・・・どこの大学か分かるな。別にいっか)。
 講演は「活字の快楽、小説の悦楽」と題し、両氏が文学について対談する形で進められた。実を言うと僕は、山田詠美の作品は好きで読んでいたのだけれど、奥泉光の作品はどこかしら敷居の高さを感じていて読んでいなかった(自身の大学の教授なのに・・・!)。だが、対談が始まると僕が感じていた敷居の高さや、芥川賞・直木賞という日本の文壇を代表する文学賞受賞作家に対する畏敬の念は良い意味で吹き飛んだ。両氏ともとてもフランクで、始終ジョークやユーモアがこぼれていたのでとても聞きやすかった。なによりも小説愛・活字愛に満ち溢れた対談であったことがうれしかった。優れた書き手はやはり優れた読み手でもあるのだ。
 最後に両氏による小説の朗読が行われた。しかもただの朗読ではなく、奥泉教授のフリー・ジャズ・インプロヴィゼーションに乗せて山田詠美が作品を読み上げるという非常にスリリングなものだった(ロックで言うとちょうどヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「The gift」みたいなもの)。奥泉教授はジャズクラブで演奏も行うほどジャズに精通しているらしく、自前のフルートで妖艶なフレーズを滑らかに演奏していた。朗読で興奮を味わえるとは思ってもいなかった。
 
 今回の対談で一貫していたテーマは「とにかくたくさん本を読め」ということだと思う。奥泉教授自身も「生徒にはとにかく本を読めと言っている。それが伝わってくれれば教授なんていらない」とおっしゃっていた。これには僕も共感で、本が読者と作者の双方向性コミュニケーションであり、作者の意図にかかわらず場所や時間を選ばないということからも「本」が「最良の教育機関」であると思っている。活字ほど人の創造力をかき立てるものは無い。たかが文字の羅列が人の人生を変えうる力を持っているのだ。「最良の教育機関」であるとともに「究極の娯楽」でもあると言える。

 ここで、なぜ本を読むことがそんなに重要なのかを自分なりに簡単にまとめてみたいと思う(僕も一般的な読書家に比べたら全然読んでいないのだけれど・・・)。みなさんもご存知の通り日本は恒久的な出版不況スパイラル(2004年度まで7年連続マイナス成長)に突入している。理由は様々だが、とりあえず今は若者の活字離れと、それを引き起こす本以外の娯楽の台頭に絞ってみる。
 その代表的なものがテレビなどの視覚的メディアだ。この問題はテレビが普及し始めた半世紀前から懸念されている。別に僕もテレビは観るしテレビを悪者にしたい訳でもないが、活字がテレビやその他の電子的・視覚的メディアに取って代わられて、あまり読まれていないことに対してはすごく危機感を覚えている。
 「読書」という行為を能動的な「自己との対話」、「著者との対話」と位置づけするならば、テレビは一方的な「情報の受信」である。そこには(ほとんどの場合)思考も創造も哲学も無い。大抵のテレビ番組は誰が観ても理解でき楽しめるように作られている。そうしないとマス・コミュニケーション(大衆伝達)として機能しないからだ。つまりは色の多くなった信号機と同じである。「赤は止まれ、青は進め」が「この番組を観たら喜べ、このニュースを観たら怒れ、・・・」に変わっただけだ。いかにもなBGMを流し大仰な語り口でスキャンダラスなニュースを伝えて国民の感情をコンセンサスに向けて煽るだけの昼間のワイドショー番組を観れば分かると思う。あれほど忌々しいものは無い。事件や世の中の出来事に対しては一人一人が異なった意見や判断、主張を持つべきである。活字から離れることは、健全な民主主義社会から遠ざかることでもある。これは知恵ある民衆を殺す行為に等しい。
 このことからも活字離れがどれほどの危険性を孕んでいるのかが窺える。本を読まなくても生きてはいけるが、本を読む人生と本を読まない人生とでは雲泥の差がある。グーテンベルクの活版印刷術によって「本」が一般大衆に普及するまで知識は一部の上流階級が持つものだったという史実を考えれば、まあ時代が違うとはいえ極端な話ではないと思う。

 なんだかんだでぐだぐだと語ってしまったが、読書が人生を豊かにするというのは決して嘘ではない。山田詠美も対談で言っていたが若いうちはとにかくジャンルレスに乱読するのがいいらしい。別に難しい本ばかりを読む必要は無いし、エンターテイメント性の強い作品でもいいと思う。本は時間も場所も選ばないので好きな時に読める。その中で自分だけの良書に出会うことができたら人生は100倍(脳内比)面白くなる。

 
 最後に僕の人生に影響を与えてくれた本や作家を小説というジャンルに絞って紹介します。

 村上春樹 『羊をめぐる冒険』 
 一番好きな作家ということでまずは村上春樹から。現在ノーベル文学賞に最も近い日本人作家。日本はもとより世界中で高い評価を得ている。村上春樹は大学に入学してから読み始めた。一番影響受けたのはこの『羊をめぐる冒険』。ホントに人生変わりました。この作家に出会っていなかったらと考えるだけでも恐ろしい。
 最高傑作という点では『ねじまき鳥クロニクル』だろう。このスケールの大きさと、時代や空間を超えて幾重にも折り重なるプロットは圧巻。うちの大学の教授も「村上春樹を読むことは世界の文学を読むことだ」と言っていたが、それぐらい濃密で膨大なコンテキストを咀嚼しきっている作家だ。また専門家並みにジャズに精通しており、『ポートレイト・イン・ジャズ』という著書もある。
 初めて読む方は『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』の初期3部作から読むことをお薦めする。非常に読みやすく、とっつきにくい作家ではないことが分かるはずだ。『ダンス・ダンス・ダンス』も関連作品。『ノルウェイの森』は説明不要の大ベストセラー。『国境の南、太陽の西』、『スプートニクの恋人』は異色ながらもパスできない作品。後者は特に好き。『海辺のカフカ』ではこの作家の凄まじい力量を見せつけられる。ギリシャ神話の『オイディプス王』を下敷きに繰り広げられる世界は唯一無二(どうでもいいが若干15歳の少年が山小屋にこもってレディオヘッドの『KID A』をヘッドフォンで聴いているシーンに狂喜した)
 取って代わってエッセイや短編集はのほほんとしたものも多い。

 吉本ばなな
 
僕が本格的に小説を読み始めるきっかけとなった作家。高校時代にはまって読みまくった。どの作品も好きだけど一番印象に残っているのは『アムリタ』かな(どうでもいいが登場人物の一人がメタリカのTシャツを着ている)。独特の心情描写が印象的。

 フランツ・カフカ 『変身』、『審判』
 『審判』は不条理な作家の不条理な作品による不条理な世界のための小説。始めから救いなど無いのだ。『変身』は巨大な毒虫に変身する主人公グレゴール・ザムザの名前とともに超メジャーな作品。毒虫となったザムザが夕日をぼんやりと眺めるシーンがあったと思うが、その光景が脳裏に焼きついている。
 
 平安寿子 『グットラックららばい』
 とにかくめちゃくちゃな家族が主人公で、ひたすら各々が自分のための人生を邁進しながらもどこかで家族として繋がっている。他人は他人、私は私とキッパリ割り切る潔さが心地よい。抱腹絶倒のドタバタ劇ながらも、真剣に人生というものを考えさせられた。

 太宰治 『斜陽』
 退廃の美学、背徳の快感などはすべてこの作品から学んだ気がする。なぜ小説が娯楽を超えて芸術の一ジャンルとなり得ているのかが分かる。破滅を悟り破滅を体現する者たちの美しい記録。
 
 山田詠美 『風葬の教室』
 終始独特の一人称で進むこの作品。人を殺すのに武器は要らない。それを知ったとき少女は大人になる。暴力で人をねじ伏せる人間は一生この真理にたどり着くことはないだろう。

 川上弘美
 「むつむつ」や「さやさや」などの印象的な擬音、蝦蛄やら寿司やら笹蒲鉾やらとにかくたくさん出てくる食べ物、登場人物のだめ男とだめ女、緩みきった時間軸。すべてがツボにはまった。今一番読んでいる作家。
 ただ、この作家の作品を読んでいると辞書を引く回数が多く、自分のあまりの日本語の無知さ加減に愕然となった・・・。

 小川洋子 『薬指の標本』
 小川洋子の作品を読むと童話を読んでいるような気分になる。大人のための童話。今いる世界からの乖離。悪意の無い残酷さ。そして多くの登場人物は自分だけの聖域を心の中に持っている。一番は『薬指の標本』でまずタイトルに惹かれた。パラノイアックな愛情を現実から離れた世界で描いている。フランスで映画化が決まったというのもうなずける。他には連作小説の『偶然の祝福』や密度の高い4編を収録した『完璧な病室』がお薦め。第一回本屋大賞を受賞し、一躍有名となって映画化した『博士の愛した数式』は実はまだ読んでいない。

 E.M.フォースター
 英国特有の皮肉が散りばめられている短編集が面白い。19世紀の作家だが、フォースターの描く鋭い文明批判は現代でも十分に通用する。ギリシャ神話などの古典の基本的背景をかじっていればもっと面白く読めると思う。
 

 ざっと適当に挙げてみたけど、女流作家多いなぁ。基本的に芯が強い女性が出てくる作品が好きなせいかもしれない。
 ぜひお試しあれ。

11月6日
なんか最近まったく更新できていない(無意識だけど日記がきっちり5ヶ月ごとの更新になってる。すげ・・・)。バイトや大学が忙しいという理由もあるけど、一番の理由はこのボロパソコンのせいだ。買ってから今年で6年目に突入するのだけれど、これまではうまく共存してきた。しかしつい最近「iPod」なんてシャレた物を衝動買いしてしまったせいで、OSを98から「iPod」のエンコーダソフト対応のXPにアップグレードしなくてはいけなくなった。ここまではいいのだが、いかんせん今売られているマシンと比べるとスペックが切ないほど激ショボなわけで、動きが亀みたいになった。アプリケーションを複数開いた時などガラパゴスゾウガメを思わせるズッシリとした動きだ。動画を見るときも、音声はそのままのスピードで流れるのだが、映像が何故かスローモーションになり、インタビュー映像なんかもセリフが聞こえた後に口が動くので、"逆"いっ○く堂みたいで非常に不愉快。メモリも512MBまで増設したのだけれど効果はまったく無かった。おまけにうちのパソコンはちょっと頑張らすとすぐにフリーズする、万年貧血の虚弱体質なのである。

そこで一大決心をして、新しいパソコンを買った。NECのやつで、ハイスペックにもかかわらず価格は9万円とメーカー物のなかではトップクラスのリーズナブルさなのだが、CPUがペンティアムD(2.80GHz)のデュアルコアという、前のパソコン(500MHzぐらい)と比べると雲泥の差が出る高スペック。処理速度がフナムシぐらい速くなりました。

これで更新できると思いきや今度はスキャナーが動かない・・・(起動5回につき1回ぐらいは動くけど・・・)。

6月6日
一応このサイトには日記もある。つくづく自分が日記をつけるに向いていない人間だと思い知った。なんせ5ヶ月ぶりなわけだから。
今は6月で、日々の出来事を綴るのが日記だというのに、これの一つ前の日記の出だしが「明けましておめでとうございます。」なのだから、もう少し頑張ろうと思う。

さーて、何を書こうか。なにせ5ヶ月ぶりの日記だし、やはりそれなりに意義のあることを書きたいと思う。そうなるとふさわしいテーマは「鼻血」しかない。今から「鼻血」について書く。(最低な内容になる確信があるので、嫌な予感がする人は読まないでほしい)

実は僕は数日前、一週間ぐらい毎日鼻血が出ていた。もともと小さい頃は鼻血の出やすい子供だったが、こんなに連続して出るのは初めてだった。別に一週間絶えずエロい妄想を続けていたわけでもないし、一週間絶えず鼻をほじくっていたなんてことはもっとありえない。多分暑さにのぼせたのだろうと思っていたのだが、母親に言うと、「内臓のどっかが悪いんちゃうの?」そして鼻血は危険信号だと脅された。
病院に行けと言われたが、この程度のことで行ったら馬鹿にされるのではと思い、やめた。忙しい総合病院の診察室で「先生、鼻血がでます。助けて下さい。」なんて言えるわけが無い。何も言わず鼻にティッシュ突っ込まれて帰らされるのがオチだ。鼻血を相手にしては一時の恥すらかきたくないのだ。だいたい鼻にティッシュを詰めるという行為は、小さい頃はまだしも、20歳を過ぎた今は、応急処置としてではなく「限りなく情けないもののメタファー」としてしか機能しない。これはもう鼻血と仲良く共存していくしかないと半ば本気で考えていた矢先、それは止まった。物事の終わりはどうしてこうもあっけないのだろう・・・、と鼻血に対して無常観にも似た哀愁を感じた。

 鼻血、気をつけてください。
1月6日
明けましておめでとうございます。昨年お世話になった不特定多数の皆様、ありがとうございました。今年もしばらく小さな規模で地味にやっていくつもりです。よろしくお願いします。

さて、2005年になったが昨年の2004年は実に新人の豊作な年だった。普段はあまりニューカマー中心に買ったりはしないのだが、それでも買わずにはいられないと駆り立ててくれる音源がたくさんあった。22-20s、FRANZ FERDINAND、SECRET MACHINES、KASABIAN、THE ZUTONS、KEANE、HOPE OF THE STATE・・・などなど。なかでも特に22-20s、SECRET MACHINES、THE ZUTONSがお気に入り。新人だけじゃなくU2やブライアン・アダムス、アッシュなどはキャリア史上最高の部類に入るアルバムを発表するし、ニルヴァーナは大量の未発表音源を含むボックスを発表(買った)。プログレ畑じゃ、VAN DER GRAAF GENERATORが再結成(個人的に一番のニュース)したり、マグマが約20年ぶり(!)に新譜出したり・・・。再結成といえば、その他クイーン、クリーム、ピクシーズ。後、びっくりなのはブライアン・ウィルソン。なんと未完の名盤と言われ続けてきた「Smile」を製作開始から37年かけてついに発表。かつてライバルのビートルズになんども打ちのめされ、精神的に病んでアッチの世界にいってしまっていたこともあったが完全にカムバックしたのだろう。それにしても恐ろしい執念・・・。
それとロック・オデッセイでザ・フーが初来日、ギターを破壊したりマイクを振り回したり全盛期の頃と変わらぬ迫力と音圧でオーディエンスを圧倒した。

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